「尿のにおい」の決め手はハチミツの香り? —分析機器を上回る人間の感覚とは—

はき倒した下着が発する、いやーな尿のにおい。この尿のにおいを人工的に再現したところ、「尿のにおいといえばアンモニア」という先入観を裏切る意外な成分が発見されました。人間の鼻や感性が、数千万円の分析機器を凌駕(りょうが)するという、においの世界。「におう」という身近な感覚がいかに複雑なプロセスから生まれているのか、その不思議について専門家の方にお聞きしてみました。

尿からハチミツの香りがしても病院に行かなくてもいい理由

「自分の尿からハチミツの香りがするんだ」——友達からそんな相談をされたら病院に行くのを勧めるのが普通ではないでしょうか。しかし、実ははき倒した下着から発生する尿臭の主要成分の一つは、なんとハチミツの香りだというのです。そして、尿臭からハチミツの香りを減らすことで消臭する、そんな研究があるそうです。

尿のにおいの成分を突き止めた研究の詳細と、「数千万円の分析機器」も上回る(かもしれない)人間の鼻の性能をめぐる、奥深い「においの世界」を紹介いたします。

なぜ尿のにおいを調合するのか?

今回注目したのはこのプレスリリース

上記は東京都の公設試験研究機関である東京都立産業技術研究センター(以下都産技研)と、プロテックの研究内容を紹介したもので、「尿のにおいの調合に成功!」というパンチのある見出しと、それに続く力強いビジュアルに興味を引かれました。

プレスリリースより。物々しいメカとにおいを嗅ぐ人物という、オタク心をぐっとつかむビジュアル。

プレスリリースをよく読むと、いままで「尿のにおい(尿臭)」の消臭効果を確認することが難しかったため、「尿のにおい」をさまざまな成分により尿臭を再現したと書かれています。「におい」の判断は分析機器だけで行わず、人間の記憶を頼りに調合、評価したというから驚きです。

さまざまな分析機器やAIなど、技術の進歩がいちじるしい2023年現在。なぜ人間の記憶からにおいを調合する必要があるのでしょうか?

そんな疑問について説明してくれたのは、都産技研墨田支所の主任研究員である佐々木直里さん、研究員の亀崎悠さん、そして抗菌防臭剤「ナノファイン」を製造するプロテックの代表、西岡靖人さんの3人です。

左から亀崎悠さん、佐々木直里さん、西岡靖人さん。

定量評価のために人工尿臭が必要

都産技研は中小企業を技術的に支援するべく運営されています。今回の共同研究は、プロテックによる「においにくい下着の開発」と「抗菌防臭剤が尿臭に効果があることの検証」が第一目的でした。その過程で、「尿のにおい」を人工的に再現、その軽減効果を定量的に評価する手法を開発したといいます。

ナノサイズの酸化亜鉛微粒子をベースにした抗菌防臭剤「ナノファイン」。抗菌機能のある微粒子を繊維の奥まで含浸させるため、凝集を防ぐ加工がしてある。

消臭効果を検証するためには、カットするべきにおいの「対策前」「対策後」を定量的に評価する手法が必要です。しかし、尿のにおいは体調や事前に食べたものによって変化してしまうし、尿そのものは清潔とはいえません。そのため、尿に含まれるにおい成分を解析し、尿のにおいとして中心となる成分を厳選し、人間の体に頼らず安定した品質の「人工尿臭」を作製することが必要となるのです。

まずは実臭! 尿のにおいを嗅いでみる

尿の成分といえばアンモニアというイメージがありますが、あるとき西岡さんは取引先の方から「下着についた尿のにおいは、本当にアンモニアが原因なのか?」と聞かれ、そこから研究を始めたそうです。まずは、アンモニアや尿のにおいを実際に嗅いでみようということで、都産技研の佐々木さんに用意していただいたサンプルの嗅ぎわけをしてみます。

不穏な気配を発する脱脂綿。

まずはアンモニアを嗅いでみると、「痛っ!」となるような刺激臭。パンチがありすぎて「何のにおいなのか」という感覚が後からくるレベルです。具体的にいうなら最近あまり目にしなくなったオールドスクールなかゆみ止め、「キンカン」のにおい。

たしかにこれは全く尿のにおいとは違います。むしろこのにおいの尿が出てきたら病院に行くべきでしょう。実は尿に含まれているのはアンモニアではなく尿素であって、排出後に細菌の働きによってアンモニアに分解されるのだとか。

パンチがあるにおい、というかパンチそのもの。くさい、という感じよりも「刺激」。

では、「下着についた尿のにおい」の主成分は何なのでしょう。それこそが「ハチミツのようなにおい」といわれ、さまざまな食品にも添加される「フェニル酢酸」という成分です。

高校の化学で習ったかも。というレベルのかなりシンプルな構造。左側の六角形がベンゼン環。その右側が「酢酸」などに含まれるカルボニル基。

こちらも嗅いでみましょう。先程のアンモニアとは全く違う、穏やかな甘いにおい。しかし、尿臭との関係についての説明を受けたせいか、甘いハチミツのにおいの中から「生き物の生成物」の影の部分を感じます。

探るような表情。それまでのお話から得た先入観が、ストレートに感じる「甘いにおい」に隠された何かを脳内から引っ張り出そうとしている。

ここから「尿」を連想するのは文字にするとかなりの飛躍なのですが、甘さでは隠しきれない不穏さを感じてしまいます。視覚や味覚、説明文などに大きく左右される、脳が持つ不思議な連想能力もにおいの世界を複雑にするキーポイントなのだそうです。

では最後に本命、都産技研ブレンドの模擬尿臭。ひと嗅ぎで「これは『尿』だ」という警告を脳が告げてきます。よく考えてみたら、こんな至近距離で尿のにおいを嗅いだことなどないのだから、キツイのは当たり前かもしれません。

脳内検索不要の尿のにおい。至近距離で嗅いだため鼻が曲がる、というか顔が曲がる。

と思ったのですが、同行していた編集担当の淺野さんは「うん。尿ですね」と澄ましたご様子。

こんなに違う? でもこういう「各人による嗅覚の違い」も今回のポイント。

芸人のような自分のリアクションが恥ずかしくなりますが、においの評価研究の世界では、これと似たようなプロセスで実験せざるを得ないそうです。この「実際に嗅いでみる」という工程も、「官能試験」という立派な試験方法の一つなのです。

においの世界の不思議と実験の難しさ

都産技研とプロテックは数千万円の計測器と己の感覚を頼りに尿のにおいを合成。多くの人を集め、「どのにおいが一番尿っぽいか」の感想を集めたといいます。シュールな光景にも思えますが、なぜこのような工程が必要なのでしょうか。

その理由は「におい成分」を検知するにあたって、検査機器と人間の持っている「嗅覚」の間に大きな違いがあり、ともすれば「人間の嗅覚」が数千万円の機器の性能を上回ることもあるからなのだそうです。

におい分析システム「GCMS-TQ8050NX」。ガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS)に「においかぎポート」を搭載。装置で検出した揮発性成分のうち、においに寄与している各成分をヒトの嗅覚で確認できる。

においの分野は未だに解明できていない部分が多いのですが、「においの成分を人間が嗅覚で感知するまで」の流れについて、都産技研の佐々木さんにざっくりと説明していただきました。

1:におい成分の気体化

「におい」は気体化したものであることが前提です。例えば、鉄棒を握った後、手からにおいを感じますが、体温で鉄が溶けて蒸気になってしまうはずはありません。実は鉄自体ではなく、皮脂が鉄と反応した有機化合物が体温で気化し、におってきているわけです。

つまり、原因となる物質には「気体や、気化しやすい液体」が含まれていることが必要です。そして、気化しやすい液体であってもpHや温度、湿度、溶けている溶媒の成分など、さまざまな条件で、どの「におい成分」が気体となるかが変わるため、大変複雑なのです。

検査機器の内部。試料を気化させる環境を調整できる。

実験では試料をGC-MSに入れ、尿臭の原因となるような物質をさまざまな条件で気化させていきます。今回の尿臭で言えば、周囲環境の温度や湿度、汗などに由来するpHや他の成分との反応など、人間が感じる条件と合わせていくための調整が難しいのだとか。

「生乾きのタオル」のように、オープンな環境でにおいを感じるものであれば、簡単なサンプリングで済むことも。

2:におい成分の検知と反応

におい成分の気体がセンサーで検知される仕組みは、検査機器と人間では当然異なります。都産技研の保有する検査機器(GC-MS:ガスクロマトグラフ質量分析装置)には、におい成分の中に含まれる各物質を分離し、数十万件のデータベースと照合、その成分を特定する機能があります。

質量分析計の出力例(銀杏の香気分析結果)。サンプル中にどの物質がどの程度含まれているのかがクロマトグラムで表示される。

機械による分類に対し、人体では鼻の粘膜にある嗅細胞(きゅうさいぼう)内に存在する400種類ほどの嗅覚受容体が物質に反応します。それぞれの受容体が反応する物質に一致した構造を持つものであれば検知するのですが、分析機器とヒトの嗅覚はその「感度」が各におい成分によって大きく異なります。

また、有機化合物同士で比較しても、カビ臭とレモンの香りでは嗅覚の感度が6000倍ほど異なるそうです。そのため、「分析機器で最も多く検出された成分が、においに強い影響を与えているだろう」といった簡単な予想は立てることができないわけです。

においかぎポートを使用して、どの成分のにおいを、人間がどの程度感じるのかを分析する。

実験でもGC-MSで分離、検出した各におい成分と、自分の鼻の感じる強度を「においかぎポート」を使いながら確認して比較していきます。成分ごとに人間の嗅覚側の感度が違うので、非常に繊細な作業です。いろいろなにおいを嗅いでいたら嗅覚が混乱してしまいそうですが、そんなときには嗅覚をリセットするために、自分の体臭や服のにおいを嗅ぐのだとか。

3:脳がにおいのイメージを描く

複数のにおい成分が嗅細胞を刺激したときに、脳が何らかのイメージを想起することは、人間ならではの特徴です。○○のにおい、というのは大抵の場合、原因となる物質から気化した複数のにおい成分が混ざった複合臭です。そのため、GC-MSで検査して、さまざまな原因物質が検出されたとしても、その中でイメージが具体的なものとして像を結ばなければ、○○のにおいと感じることができません。

鼻が詰まっていても、カレーを食べていればカレーのにおいを感じてしまうように、視覚や味覚、先入観など、他のさまざまな情報との連携により想起するにおいもあり、各人による経験の違いなども絡むといっそう複雑です。

「においの全くない空間」はほぼありえない。そのため常に脳は何らかのにおいをキャンセルしたり増幅したりしている。香料や防臭はその動きを利用して「脳をいかにハックするのか」という世界のようだ。

このような複雑なプロセスを経て初めて人間が「におい」を感じるわけです。模擬尿臭を作るには、このプロセスを逆算し、「『みんなが』中年男性の着倒した下着だと思ってくれるにおい」になるよう試薬で再現する必要があります。

形がなく、感じ方に個人差があるため確認し合うことも難しい「におい」のイメージを固め、使用する環境等をふくめて試薬や評価方法を作る。このようなプロジェクトだからこそ、臭気判定士という専門職の非常に高度な知見が必要であることがお分かりいただけたのではないかと思います。

新商品を生むまでが共同研究! だけど意外なショートカットが

このようにして評価試験の大きな柱、「模擬尿臭」やその評価方法が完成してようやく研究は折り返し地点に到達します。中小企業の製品開発を支援する都産技研としては、プロテックと一緒に消臭効果を検証し、新たな消臭剤を開発していくことが次のステップになるわけです。

しかし、プロテックの代表、西岡さんにはフェニル酢酸が尿臭の主要成分だと聞いたときから、「現状のナノファインで消臭できるのではないか」というある種の直感があったといいます。

プロテックの持つナノファインは本来、においの原因物質を作る細菌の動きを抑え込む抗菌防臭剤。においの原因物質が付着しているのであれば、消臭できないのではないかと思ってしまいます。

しかし、西岡さんの直感はナノファインの抗菌作用とは違う点に着目していました。ナノファインの原料である酸化亜鉛の水溶液は弱アルカリ性。フェニル酢酸がにおいの主成分であるならば、弱アルカリ環境ではその成分が変化し、においにくくなるのではないかと推測したのです。佐々木さんが成分を検出するために、pHの調整に苦心していたこともヒントになっていたのかもしれません。

その勘がまさに当たり、既存の商品ラインアップの一つ、ナノファイン100が消臭性試験で効果を発揮。フェニル酢酸の濃度が96%減という結果になりました。

つまり、このナノファイン100は追加の開発をほぼ必要とせずに、抗菌防臭機能(細菌の生成物由来の生乾き臭などを予防)に加え、フェニル酢酸に対する消臭効果があることが公的機関との共同研究で実証されたのです。

制菌作用に加えて新たに尿臭に対する消臭効果が確認されたナノファイン。ナノファインが三和の男性用下着「Jewel」の強いセールスポイントとなっている。

そのためか三和の男性用下着「Jewel」は消費者から「抗菌防臭加工をされている割には求めやすい値段」との評価を得ており、その反響を受けてフェムテックならぬ「おじテック」商品として、中高年向け尿漏れ対応の肌着にナノファインが使われ始めているそうです。

中小企業の製品に公的機関のお墨付きがあることによってこのような実績につながるのは、都産技研の研究事例として理想的なパターンといえるでしょう。

におい研究から感じた技術と人間の未来とは

まだまだにおいの世界は未知のことだらけ。

最も身近な悪臭である尿のにおいですら判明していなかったことには驚きましたが、「物性」「人間側の嗅覚細胞」「人間の脳」が絡み合う複雑なプロセスを説明されるとそれも当然、という気がします。西岡さんのような「現場の勘」、佐々木さん、亀崎さんのような臭気判定士のセンスの活躍する余地があるのもうなずけました。

におい成分はブレンドも繊細ですが、個人差や体調、飲食したものによっても尿臭は変わります。つまり、「ちょっと不純物が入ったり、わずかに量が変わったりするだけで尿臭のイメージと大きくズレてしまう配合」では、逆に試薬としての利便性が下がってしまうという難しさもあるそうです。絵でいえば、リアルさとデフォルメのバランスが問われるセンスや経験が必要な分野といえるでしょう。

AIや量子コンピューティングなど、人間の脳をシミュレーションする研究がありますが、まだまだいずれも研究途上です。高精度な検査機器とはまた違ったレイヤーで必要とされる人間の脳の働きを先端技術がどう捉え、拡張していくのか。進化しつづける技術と人間との付き合い方のヒントは「においの研究」の分野にあるかもしれないですね。

最後に、こんな研究を一緒にしている都産技研について興味が出た方もおられると思います。都産技研は都内中小企業をはじめとした企業のサポートをする施設ですが、個人事業主の方でもご利用可能です。また、開業していない個人でも起業を前提とした方であれば、技術相談や試験などを依頼することができます。

今回の研究は生乾きの洗濯物の悪臭などについて、プロテックさんが相談していたことから始まったとのこと。日頃から専門家との関係性を構築しておくことで、新たな共同研究に発展させることができるかもしれません。ご興味を持った方はぜひ連絡を取ってみてはいかがでしょうか。

fabcrossより転載)

関連情報

「尿のにおい」の決め手はハチミツの香り? —分析機器を上回る人間の感覚とは— | fabcross



ライタープロフィール
梅田 正人
大手電機メーカーで生産技術系エンジニアとして勤務後、メディアアーティストのもとでアシスタントワークを続け、プロダクトデザイナーとして独立。その後、アビダルマ株式会社にてデザイナー、コミュニティマネージャー、コンサルタントとして勤務。 ソフトバンクロボティクスでのPepper事業立ち上げ時からコミュニティマネジメント業務のサポートに携わる。
その後、ライター、リサーチ業務と並行し、スタートアップやコミュニティの立ち上げサポートなど幅広く活動中。


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