スコットランド女王メアリー・ステュアートによる暗号書簡を発見――日本人を含む暗号解読者らが解読

Source: gallica.bnf.fr/BnF fr. 2988 f.38

16世紀のスコットランド女王メアリー・ステュアートがイングランドで事実上幽閉されていた時期に暗号を用いて書いた手紙が、国際的な暗号歴史文書解読プロジェクト「DECRYPT」のメンバーであるGeorge Lasry氏、独ベルリン芸術大学のNorbert Biermann教授、そして歴史文書の暗号研究をプライベートで行っている友清理士氏の3名によって解読された。彼らが解読した57通の手紙の内容などの詳細は、2023年2月8日付で『Cryptologia』に掲載された。

何世紀もの間、これらの秘密書簡は現存しないと考えられていたが、フランス国立図書館(BnF)で保管されている暗号化された歴史文書を解読している最中に偶然発見された。オンラインアーカイブで閲覧できる文書の高度な暗号を解読して初めて、メアリー・ステュアートが書いた秘密書簡であることが分かったのだ。

メアリー・ステュアートは16世紀における最も有名な歴史上の人物の1人だ。彼女はイングランド王ヘンリー8世の姉マーガレットの孫であり、イングランド王位継承権を有していた。当時、イングランド内のカトリック教徒の中にはメアリーこそ正当なイングランドの君主と考える者が多く、メアリーはスコットランドを追われてイングランドに逃れたものの、イングランド女王エリザベス1世や議会からは脅威とみなされ、メアリーは19年にわたって軟禁状態に置かれた。最終的に、メアリーはエリザベス1世殺害計画に加担したとされ、1587年2月に44歳で処刑された。

メアリーは軟禁状態となっている間、使者を雇い秘密を守るため多大な努力を払いながら、仲間や同盟国と連絡を取り合っていた。今回、解読された手紙は、メアリーが処刑される数年前までの、1578年から1584年に書かれたものだ。そのほとんどはイングランド駐在のフランス大使であるミシェル・ド・カステルノー宛てだった。

メアリーとカステルノーとの間で秘密裏の通信経路が存在したことは、歴史家にもよく知られているが、1578年5月時点で既にやり取りが始まっており、1584年半ば頃まで活発であったという新たな証拠を提供することになった。

これらの手紙は、コンピューターを使った暗号解読技術と手作業によるテキスト解析の両方を用いて解読された。解読された内容により、メアリーが外部とのつながりを維持するために直面した課題や、手紙がどのように誰によって運ばれたかが判明している。

発見された手紙の一部は、BnFのカタログでは「暗号で書かれたメッセージ」とだけ記載されており、同じ束に分類されていた他の文書は16世紀前半のイタリア関連のものであると説明されていた。しかし、暗号を解き始めてすぐに、これはフランス語で書かれたものであり、イタリアとは何の関係もないと気づいたという。

その後、作業を進めるうちに、出現するフランス語の動詞、副詞、形容詞の多くが女性形であることや、監禁についての言及があること、また、エリザベス1世の重臣であり諜報長官的立場にあった「ウォルシンガム」の名前が明らかになったことで、Lasry氏にはスコットランド女王メアリー・ステュアートからの手紙ではないかという考えが生じたという。

この仮説は、解読された手紙のうち1通が既刊の書簡集に掲載されている手紙と一致したことなどから正しいことが確認された。また、BnFが所蔵する類似の手紙を検索したところ、同じ暗号を使用した手紙が57通発見された。

これらの手紙はメアリー・ステュアートに関する新しい一次資料であり、総単語数が約5万語にも及ぶ手紙の内容は、彼女がイングランドで軟禁状態に置かれていた期間について新しい光を当てるものといえる。しかし、メアリーからの他の暗号書簡がまだ行方不明である可能性も残されており、Lasry氏らは、オンラインでの検索はもちろん、紙の文書を実際に調査する必要もあるとしている。

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