IntelのプロセッサでWindowsを走らせる“Wintel”全盛期にも「自分がやりたいことだから」と組み込み系の開発を貫き通し、今では大手メーカーからも「組み込み系の開発で困ったら、あの人に相談しよう」と頼りにされるエンジニアがいる。今夏、ドローンワークスを創業した今村博宣氏だ。
大学卒業後、3社でエンジニア経験を積み、自身が代表を務めるハフトテクノロジーを起業。組み込み系の開発支援、コンサルティングなどに携わってきた。組み込み系開発のすべての過程に通じた数少ない専門家であること、スカパー!の設備をはじめ、依頼を受けた開発案件を成功に導いてきた実績などが評価され、ハフトテクノロジーを起業してからも営業活動をほとんどしなくても依頼が舞い込み、仕事に困ることはなかったという。
組み込み系のエンジニアとして、確かな評価を得ている今村氏。これまでどのようなキャリアを歩んできたのか、話を聞いた。(撮影者:水戸 秀一、取材場所:KOIL)
相談すればどうにかなる。大手メーカーからも頼りにされるエンジニアに
――まずは現在の仕事内容について、教えていただけないでしょうか。
2015年9月1日にドローンワークスを起業して、ドローン関係の開発を進めています。
今後はよりドローン開発に割く時間を増やしていく予定ですが、他にも組み込み系開発案件のコンサルティングなどの仕事もしています。間もなく発売される某スマートフォンのお手伝いなど、大手メーカーの製品開発を影で支えています。
――コンサルタントとして、顧客から期待・評価されているのは、ご自身のどんな知識・技術だと思われますか?
組み込みシステムを搭載した製品を開発しようと思ったら、ハードウエアの知識も、ソフトウエアの知識も必要になります。開発を進める中で、課題になることも案件ごとにさまざまです。課題に合わせて私が担う役割も変わります。エンジニアとして回路設計などを任されることもありますし、「ここにはあの会社の半導体を使うといいですよ」「ソフトウエア開発が必要なら、あの会社はどうでしょうか」と適切な協力会社の紹介を求められるケースもあります。
要するに、「困ったら、とにかく今村に相談すればどうにかなる」というところが顧客からは頼りにされているのでしょう。私は30年以上、組み込み系のさまざまな製品開発に携わってきたので、開発から生産までに発生する課題をどうすれば解決できるか、一通りのことが分かるところが強みになっています。
ラジコン少年がパソコンと出会い、コンピューターを仕事に
――もともと、どんな動機からエンジニアを志すようになったのでしょうか?
子供のころからラジコン、特に飛行機が好きで、「ラジコン同好会があるから」という理由で高校を選び、大学もラジコン同好会がある大学を選び、学科も通信工学科に進みました。
当然、「ラジコン関係の仕事に就こう」と考えていたわけですが、大学1年の時にNEC初のパソコン「PC-8001」に出会ってしまった。コンピューターを扱うことのおもしろさに気付き、「仕事にするなら、コンピューターの方がおもしろいかもしれない」と考えるようになったのです。
そして当時はパソコンが登場したばかりですから、“情報工学”も生まれたて。半導体をつくることに関しては電子工学科が受け持っていたものの、コンピューターやプログラミングを専門的に教える学科はほとんどありませんでした。都合のいいことに、私の通っていた大学で“情報工学”を担当することになったのは、進学先の通信工学科。“情報工学”関連の講義を受講するうちに、自然と「コンピューター関係の仕事に進む」という選択肢が現実的なものになりました。
進路を決める上でもう1つ、大学時代のアルバイト経験も大きく影響しました。「日本初のパソコンを開発した会社」とも言われているソードというパソコンの開発・製造を手掛けるベンチャーでアルバイトをしました。とても仕事がおもしろかった。働きやすい環境だったこともあって、ハードウェアエンジニアとして採用されました。
半導体から組み込み製品の開発まで。一通りの業務経験が礎に
――入社後はどんな仕事を?
ソードでは8人ほどのチームでパソコンを開発していました。その中で入社1年目の私に任されたのは、VMEBusのオプションボードの開発でした。
しかしソードに勤め始めて2年が経ったころ、東芝に買収されることが決まってしまった。「買収されることでベンチャーらしい魅力が薄れるだろうから、会社を移りたい」と思い、半導体を扱う商社に転職しました。
半導体商社では技術部門に配属され、自社が扱う半導体を組み込んだVMEbusボードを開発したり、顧客からの依頼に応えて受託開発したり、といった仕事をしていました。
――起業前に、さらに経験を広げるため、新たな業務にチャレンジしましたか?
商社の次には、「これまで経験したことがない業務を担当したい」と思い、半導体3Dグラフィックスプロセッサを開発するベンチャーに転職しました。
3社目の半導体メーカーは、家庭用ゲーム機市場に新規参入しようとしていた新興企業。RTL記述なんて無い時代でした。私はセルの設計やレイアウトを担当しました。
起業して今に至るまで、半導体メーカーとの人脈が特に役立っていると感じます。半導体は、組み込み系開発の最上流。半導体のことが分かることで半導体メーカーから仕事を受注できるようになり、半導体メーカーの取引先、その取引先の取引先へと顧客が増えていきました。
そのように3社で働いてきたことで、半導体をつくるところから、製品化して売り出すところまで、一通りの業務を経験しました。そうして身に付けた組み込み系開発に必要な知識・技術が、今の私の礎になっています。
――3社での経験を経てから、ハフトテクノロジーを起業することになったわけですね。「起業」という選択をする際、不安はなかったのでしょうか。
実は起業前、1985年に月刊誌『Interface』に署名付きでVMEBusの記事を寄稿する機会がありました。今でこそ「分からないことがあったらWebで検索しよう」となりますが、当時は専門誌くらいしか情報源がなかった。そこに私の名前が載った記事が掲載されたわけですから、メーカーが私個人に直接相談してくれるようになりました。
そうした相談の件数がいつの間にかかなり増えてきて、アフターファイブの個人事業として仕事を受け始めました。それによりパソコン、CAD、オシロスコープ、測定器といった自分の欲しい機器やソフトウエアをそろえることができました。
そのように 営業的にも設備的にも「起業しても、ある程度は稼げるだろう」と見通しが立っていたので、起業という選択にそれほど不安は感じませんでした。
スカパー!設備のコア部分を開発。起業後、22年続いた黒字から、会社解散へ
――起業後、さまざまな開発プロジェクトに携わってきた中でも、特に思い出深かった案件は?
ハフトテクノロジーを起業してからも、『Interface』の記事をきっかけにして縁が生まれた方、大学時代の仲間などから声を掛けてもらえて、仕事が舞い込む日々が続きました。
日本を代表する大手メーカーを含めて、さまざまなメーカーの製品開発をお手伝いしてきましたが、その中でも印象深かったのは1998年に「スカイパーフェクTV!」(現・スカパー!)が立ち上がるとき、放送局設備のコアになる部分を開発したことです。「地図に残る仕事」というわけではないですが「自分たちがやった仕事」として胸を張れる実績です。スカパー!からも高く評価されまして、その後も同社から数多くの仕事を依頼されました。
そのようにして創業から22年間、ずっと黒字を続けていましたが、リーマン・ショックが起きて、ほとんどのメーカーが業務委託費をゼロベースで見直すことになりました。ハフトテクノロジーの取引先も例外ではなく、取引のほとんどが打ち切られてしまいました。黒字で経営を続けることが非常に難しくなっていったのです。
ドローン市場は大きく成長する。チャンスと確信して2度目の起業へ
――不景気や震災後の不安が落ち着いてきたところで、再びフリーランスとして独立。今夏になって2度目の起業に踏み切られたわけですね。もう1度、起業しようと考えた理由は何だったのでしょうか?
ロボット産業がこれから大きく成長すると確信したからです。
私は子供のころからずっと趣味でラジコン飛行機を扱っていますから、ロボットの中でもドローンに可能性をすごく感じるわけです。ドローンを用途ごとにカスタマイズすれば、さまざまな場面で作業を効率化できる。そしてドローンをカスタマイズするには、組み込み系の知識・技術が必要で、無線通信のことも分かっていなくてはいけなくて、クラウドについての理解も欠かせません。そうした技術領域のことは慣れ親しんでいますから、これはもう私にとっては千載一遇のチャンスだなと。
初志貫徹というわけでもないでしょうが、子供のころに夢見ていた「自分はラジコンで食っていくんだ」という夢を55歳になってかなえられたことにもなります。そう考えると感慨深いですよね。
転職・起業を重ねても扱う技術はぶれない。UNIXベースの組み込み開発を貫く
――ラジコン好きから始まったエンジニアとしてのキャリア。どんな判断軸を持って歩んできたのでしょうか。
これまで何度も転職・起業してきましたが、実は自分の中でキャリアの軸はまったくぶれていないのです。
というのも技術領域として、私は組み込みのRISC CPUとUNIXしか扱っていないんです。UNIXをベースにしてLinuxが生み出され、ワークステーション、デジタル家電、ドローンもLinuxベースで開発しています。昔は抱えきれないほど大きなコンピューターだったものが今では半導体1つに集約されるようにはなりましたが、私が扱っている技術領域は30年間まったく変わっていません。
――UNIXやLinuxは“Wintel”に対して亜流と見なされる時期が続いていたと思います。UNIXやLinuxを扱い続けることで、不利になるとは考えなかったのでしょうか?
もし途中でWintelに走っていたら、私は大事にしているベンチャー精神を失っていたと思います。売れようが売れまいが関係ない。エンジニアは、自分のやりたいことをやるべき。自分がやるべきことは組み込みのRISC CPUを使ったUNIXだと思った。それだけです。
確かに、Wintelと比べると市場規模は負けるでしょうが、組み込みのUNIXはLinuxに姿を変え、今では多くの家電製品に使われています。
考えてみると、Wintelと比べればマイナーな組み込みのRISC CPUとUNIXを選んだからこそ、ライバルとなるエンジニアが限られ、これまでのキャリアで仕事に困らず、価格競争にも巻き込まれず、「困ったときには、相談できる」という評判も広まったのではないでしょうか。
ドローンは数年前のAndroid。次のWintelを見つけた
――自身の経験を踏まえて、エンジニア向けにアドバイスをいただけないでしょうか。
趣味で電子工作をやるにしても、最初から高いところを目指してほしいですね。
ブログや雑誌の記事を参考にして、秋葉原でICやLEDを買ってきて、光が点灯する装置を組み立てる人もいると思います。そうすれば簡単に完成品ができて一時的なおもしろさを感じるかもしれませんが、それではそこで成長が止まってしまうのですよ。
簡単な装置を開発するような仕事には、安い人件費しか支払われません。組み込み系のエンジニアとして評価されたいと思うのなら、少なくともLinuxベースのシステムを搭載した製品開発を志すこと。厳しい言い方ですがLinuxが動かないレベルのものは「自分の趣味ではない」「仕事にすることではない」と思うくらいの気概を持ってほしいです。
もう1つ、ある程度の知識・技術を身に付けたら、ブログなどを通じて自分から積極的に情報発信するようにしてほしいです。
私にとって転機になった出来事の1つは、『Interface』へのVMEBusの記事の寄稿だったと思います。それを現在に置き換えると、誰かに頼りたいときには、専門誌を読む人よりもWebで検索する人の方が多い。ブログなどを介して良質な情報を発信し続ければ、気付いたころには多くの人とやり取りするようになり、自分を高めてくれる出会いにも恵まれるはずです。
――最後に、ご自身の今後の展望について伺えないでしょうか。
ドローンワークスで、これからドローン関係の開発を続けていきます。
ただ、私はドローンのことを「ドローン」ではなく「ロボット」だと考えています。あくまでロボットの組み込みの制御部分を開発するだけ。生涯、技術領域としては組み込みのRISC CPUとLinuxをやっていくことになるでしょう。
ドローンに可能性を感じている私としては、若いエンジニアにもどんどんドローン開発を志してほしいですね。ドローンのシステムはオープンソースで既に簡単に入手できます。秋葉原でパソコンを買ってきてLinuxをインストールするのと同じくらいの感覚で、ドローンを作ることができます。
ただ、ドローン本体を完成させるのは簡単でも、用途ごとにカスタマイズする開発作業が必要になってくるはずです。ドローンをビジネスの中で生かすためには、「カメラで撮影した画像から対象を認識する」「機械学習を重ねて何かを判断する」といったアプリケーションを開発していかなくてはいけません。
ある意味、今の状況はAndroid端末が普及した数年前と非常に似ていると思うのです。Android端末向けにゲームなどのアプリ開発のニーズが生まれたように、ドローンにもこれからさまざまなアプリが必要になって大いに盛り上がるはず。ですので組み込み系のエンジニアの方々も、早くドローンの可能性や魅力に気付いてほしいのです。
私には、「やっと次のWintelを見つけた」という感じがしています。ぜひ次の市場を創り出していく仲間が増えていってほしいと思っています。
関連リンク
ドローンワークス