- 2018-12-20
- エンジニアキャリア紹介, 機械系, 転職・キャリアアップ
- コミュニケーション, ティアダウン, メイテック, 四大力学, 設計エンジニア
グループ全体で約9500人の正社員エンジニアを抱え、エンジニアリングソリューション事業を展開するメイテック。同社に在籍する増田アツコ氏は、設計エンジニアとして各派遣先企業で仕事をしている。それぞれの環境や学びから得られる気付きを柔軟に受け入れ、仕事に対して自分なりのスタンスを持ちつつお客様の期待に応える。趣味からも刺激を得て、エンジニアとしての幅を広げている彼女に、ものづくりのやりがいを聞いた。(執筆:杉本恭子、撮影:水戸秀一)
――大学の専攻は工学部機械工学科だったそうですね。なぜ機械工学に。
車が好きだったことが原点です。私はいなか育ちなので車はすごく身近な存在で、小学生の頃からJAFから毎月送られてくる機関誌を読んでいました。隊員の出動のエピソードや、安全性等の検証レポートなどが掲載されていて、「車っていろいろな思いが詰まっているんだな」と思っていました。
将来は、車の安全性に貢献するような仕事がしたくて、整備士になろうと考えていた時期もありました。しかし、実家が工場経営をしていたこともあり、ものを作ることで車の安全性に携わることができる設計エンジニアのほうがおもしろいのではないかと思い、大学では機械工学科を選びました。学生120人の中で、女子は4人だけでした。
――どんな大学生活でしたか。
私は自分では「車好き」と思っていたのですが、大学には本気で車をいじったり、峠を走ったりしている人など私以上に車を好きな人がたくさんいて、圧倒されたことを覚えています。
勉強は大変でした。私は理系なのに数学と物理が苦手で、夢の中でも微分しているような有り様で、楽しいキャンパスライフというより、常に必死でしたね。
――大学で学んだことの中で、特に印象に残っているのは。
四大力学です。材料力学、流体力学、機械力学、熱力学のことで、機械工学の基本となるものです。メカは、こうすれば動く、こうしたら止まると白黒はっきりしている世界だと思っていたのですが、学んでいくうちに、数字や理論で割り切れることばかりではない、経験も大事な要素なんだなと思いました。
少しずつ経験やスキルを積み重ねていくことがおもしろい
――最初に入社したのは、エンジン部品のメーカーだそうですね。
私の業務は、図面と3Dデータを基にCAD上に再現して、アンマッチやミスがないかどうか確認するという仕事でした。
いろいろな国の図面を目にしたのですが、そこに記されている公差や寸法にはどういう意味があるのかなど、知りたいことがどんどん増えていきました。図面を確認するだけでなく、実際に部品を設計すればわかるのではないかと思い、転職することにしました。
最初は設計ができる大手メーカーの求人を見ていましたが、当時は経験者を募集している企業がほとんどで、経験の浅い私には応募することが難しく、エンジニア派遣会社も視野に入れて転職活動をおこなっていました。
メイテックは、その中でも正社員雇用になるという安心感や、同業他社と比較して高給だったこともあり、選びました。また、会社としてキャリアマネジメントを自分で築いていくことに力を置いていたことも決め手の1つです。
――それで、設計の仕事ができそうなメイテックに入社したのですね。
はい。最初の配属先は、自動二輪車の足回りを担当する部署でした。約1年が経過し、仕事がわかり始めた頃にリーマンショックの影響で契約は打ち切りになりました。それから2年ほどは、メイテック社内の研修プログラムなどをこなしながら過ごしました。
研修プログラムでは、製品を分解、分析して調査するティアダウンをおこなっていました。私の班はスロット台を分解検証して、資料にまとめて発表しました。スロット台を選んだのは、機構設計に興味があり、機構が複雑そうなものに挑戦したかったからです。メダルを入れる機構が、規格に入らない大きさのものだと投入口に入らず、小さいものだと途中ですり抜けるようになっていて、奥に入らずに手前のトレイに出てきたりと、色々な工夫がされていることがわかりました。
当時、20代前半だった私は、その班のリーダーを務めていたのですが、スロット台の中身の検証よりも、ベテランの先輩方を相手にどうやって研修を進めていくかに苦戦しました。
また、先輩方と一緒に研修をする中で、仕事の進め方を学びました。機械系の方と電気系の方とが一緒に動作の確認する方法など、他の分野の方との仕事の進め方を知ることができました。今となっては当たり前なのですが、当時は電気系の方は何ができて、どのように聞いていけばいいかがわからなかったので、とても良い経験となりました。
次の配属先がなかなか決まらなかったものの、当時はスキルアップの時期だと思い前向きに取り組んでいました。一緒に研修を受けている人たちとは、辛い時期を一緒に過ごしたことによって連帯感が生まれ、今でも良き仕事仲間として交流があります。
――現在はどのような仕事をしていますか。
自動二輪車のシートやフェンダー、ウインドスクリーンなど「外装」と呼ばれる部品の設計開発です。金型成立性を考慮したレイアウト、3Dデータ・2D図面の作成、強度・剛性・振動といった解析を行っています。特に、走っている間に振動でずれたり、外れたりしないよう、いかに固定するかが重要で、「棚」と呼ばれる引っ掛かりを作って組み合わせるなど、構造を決めて、3Dデータを作成しています。
――外装設計のやりがいは何ですか。
デザインはデザイナーが考えるのですが、製品が出るたびに新しいデザインに変わっていくので2度と同じものに出会えることはありません。また、外装は車種も部品もさまざまで、私に割り当てられる部品も都度異なるので、毎回新しいことをしながら、少しずつ経験やスキルを積み重ねていく感じがおもしろいですね。
1台分のすべての外装部品を設計できる人は少ないのですが、少しでもそういう先輩に近づきたいと思い、日々取り組んでいます。
――仕事をするうえで大事にしていることは。
車種が変われば、一緒に仕事をする人たちも変わりますから、与えられた環境のなかで、そのとき目の前にいる人に満足してもらえるような仕事をすることですね。
そのためにはまず相手を見て、相手にとって何が一番大事なのか、何を必要としているのかを考え、欲していること、足りなそうな部分を埋めていく。都度、何をすべきかを考えて仕事することが大事かなと思っています。
――増田さんは、エンジニアにはどのようなスキルが必要だと思いますか。
分野を問わず一番汎用性が高いスキルは、コミュニケーションだと思います。私はコミュニケーションなどのスキルアップ系の本を、今年だけで100冊ぐらい読みました。本には、それぞれの著者の経験のエッセンスが詰まっています。私は人見知りで、しゃべるのがあまり得意ではないのですが、たくさん読むことで自分なりに役立つものも見つかりますし、いろいろな人とのコミュニケーションの予習になっているような気がします。
音楽がエンジニアとしての仕事の幅を広げる
――仕事をしながら、音楽大学の社会人向けカリキュラムでパイプオルガンを勉強したそうですね。
社会人をしながら大学に通えたことは人生で大きな転機となりました。パイプオルガンとの出会いは、旅先で演奏している場に遭遇したことです。当時、音の重なりの素晴らしさに強い感銘を受けて、自分でも演奏してみたいと思い、武蔵野音楽大学に通うことに決めました。職場の方も理解してくださったので、週1日のコースに1年間通うことができました。
パイプオルガンを学びはじめてから、音楽をロジックではなく、感性で理解していく方法を学びました。当時、音大の先生には「ロジカルに考えすぎる」と指摘されました。エンジニアには論理的思考は必須ですが、先生が堂々と弾くと、ロジックでは説明できないのに堂々とした雰囲気が伝わる。これも1つのコミュニケーションスキルなのかなと思います。
また、新しい物事を理解することへのアプローチ方法を学んだことによって、仕事においても考え方に柔軟性が出てきた気がします。仕事一筋、エンジニア一筋という方もすばらしいと思いますが、私にはエンジニアも、音楽も大事。両方続けていきたいと思っています。
――では最後に、エンジニアとしてこれからやってみたいことはありますか。
これまで、自動二輪車の外装部品の設計開発に携わり、いかに外装を固定するかをずっと考えてきたので、もともと興味があった動きのあるものや、機構設計を経験してみたいですね。
また、管楽器やピアノの機構、楽器を形作るための金型など、楽器、あるいは楽器が作られる過程にもメカが絡む要素はいろいろあるので、可能ならばそういう製品の設計をしてみたいと思います。
関連情報
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ライタープロフィール
杉本 恭子
幼児教育を学んだ後、人形劇団付属の養成所に入所。「表現する」「伝える」「構成する」ことを学ぶ。その後、コンピュータソフトウェアのプログラマ、テクニカルサポートを経て、外資系企業のマーケティング部に在籍。退職後、フリーランスとして、中小企業のマーケティング支援や業務プロセス改善支援に従事。現在、マーケティングや支援活動の経験を生かして、インタビュー、ライティング、企画などを中心に活動。心理カウンセラー。