- 2016-8-23
- エンジニアキャリア紹介, 制御・IT系, 機械, 機械系, 転職・キャリアアップ
メイテック 静岡エンジニアリングセンターの小林裕一さんは、約30年「派遣」というスタイルで仕事を続けている。
派遣を選んだ理由は「自分の腕一本で食べていける」エンジニアになるため。技術の進化・変遷の流れの中で、自分の仕事の範囲を限定せず、望まれた仕事に向き合い、最大限応えていく――。そういう仕事に対する姿勢が、小林さんという信頼されるエンジニアを形作っている。(執筆:杉本恭子 撮影:水戸秀一)
さまざまな業界で経験を積みたくて選んだ「派遣エンジニア」
――小林さんは、なぜ派遣エンジニアという仕事のスタイルを選んだのですか。
私は大学時代、機械系、中でも金属材料系を専攻していました。就職するときに、専門を生かすことも考えましたが、自動車やエンジンが好きで、自動車メーカーに就職してエンジンの設計をする道を選びました。
しかし家庭の事情で、地元に戻らざるを得なくなり、そのときエンジニアの派遣をしているメイテックに出会いました。
そもそも仕事に対する私のモットーは「自分の腕一本で食べていける」ということ。「いろいろな業界で経験を積める派遣という働き方は合っているのではないか」と考えて、1988年にメイテックに入社しました。
――メイテックに入社以降、これまでどのような仕事に就いてきましたか。
主に自動車の車載部品などを供給している部品メーカーでお世話になってきました。
最初は機械系エンジニアとして、駆動系システムの機構設計などを担当しました。それから十数年の間に、徐々に自動車のいろいろな部分にマイコンが使われるようになり、ソフトウェアエンジニアと会話をする機会も増え、私自身も機構系のマイコン制御の設計にも関わるようになりました。
3年半ほど、お茶の生産に使用する機械の開発もしましたが、それ以降は、また以前と同じ自動車部品メーカーにお世話になることに。ドライブレコーダーをはじめ、データを計測・記録する車載器の開発に携わってきました。
現在は映像処理の仕事が中心で、自動運転などで使われる画像認識関連のソフトを開発しています。
喜んでいただける仕事をする
――自動車系の機構設計からスタートして、マイコン制御、画像認識ソフト、その間には全く異なる業界も経験されましたが、抵抗や葛藤はなかったのですか。
「自分の腕一本で食べていける」ということは、言い換えると「お客様にどれだけ喜んでいただけるか」。それが自分の根底にあります。
好きな技術や分野にのめり込むことより、相手が望んでいることに対して自分がどれだけ返せるか。そして、返したものにどれだけ喜んでいただけて、報酬をいただけるのか。今思えば、エンジニアとしてそういう生き方をしたいと思っていたのでしょう。
私にとっては、新しい技術も業界も、自分の幅を広げられるチャンスであって、断る理由にはなりませんでした。
――とはいえ、異なる業界や、機械系エンジニアからソフトウェアエンジニアというキャリアチェンジは苦労も多かったのでは。
自動車と製茶では業界は違いますが、どちらも機構設計が中心の仕事でした。技術的な原理原則は同じです。そういう意味では、業界が変わっても恐れることはありません。
ただ、生産の規模や望まれている品質保証のレベルなどは業界によって異なります。経験値のない部分は自分で調べたり、詳しい方に聞いたりするなど、勉強する必要がありました。
またソフトは、完全に論理的な世界であり、機構的な考え方と通じ合うものがあります。原理原則という意味では、私の中では唐突な感じはありませんでした。
でもあらためて振り返ってみると、技術の変遷の中に身を置き、その時々のトレンドの技術に関わりながら、今に至っているのだなと思いますね。
「この人にこの仕事を任せたい」と思ってもらえるか
――小林さんは新しい分野の仕事を引き寄せてきたように感じます。ご自分ではどう思いますか。
お客様に「この人にこの仕事を任せたい」と思ってもらえるか、そういう関係性をつくれるかどうかが重要だと思っています。特に派遣の場合は、相手が困っていて望まれて行くのですから、自分が何をしたいかということより、まず相手の課題を解決することを考えなければ、先に進まないものです。
「したい仕事をさせてもらえない」とか「任せてもらえない」という話も聞きますが、社員か派遣かに関わらず、「この仕事を任せたい」と思ってもらえれば、解消される問題なのではないでしょうか。
ただそのためには、スキルが伴わなければなりません。私の場合は派遣という仕事の仕方を選んだ以上、自分のスキルアップになることなら、なんでも身に付けるという気持ちを持ち続けてきました。お客様に恵まれたことも幸いし、結果的に技術力が磨かれてきたのではないかと思います。
――では今までの多くの経験の中で、特に貴重だったと思うのは。
製茶機械の仕事で、大きな失敗をしました。30代後半で、仕事の腕もそれなりに上がり、ある程度自信を持っていた時期。ちょうどいい年代で失敗を経験したのだと思います。
そのとき、助けてくれる人が現れました。部署は異なる方でしたが、業界のことをよくご存じで、いろいろなことを教えていただいていました。その方は、普段の私の仕事の仕方を見てくれていたから、手を差し伸べてくれた。日頃の仕事の姿勢の大切さをあらためて実感することになり、私の財産ともいえる経験です。
業界の先を見越して技術を選択する醍醐味
――小林さんが考えるエンジニアという仕事の醍醐味は。
若いころは、目の前の課題を解決するために、自分の考案した機構や構造が採用されることに喜びを感じていました。
今は開発企画や、技術・業界の動向を調査するような仕事もするようになり、業界の先を見越して、技術を選択しなければならないこともあります。選択した結果が分かるのは数年後ですし、いろいろな技術を試す時間も労力もかけられず、その時点では最適であるとは言い切れません。それでもカギとなりそうな技術を察知して深掘りしたり、詳しい人と会話をしたりして、お客様に提案する。それが結果的に正しかったときが一番うれしいですね。
――では、派遣というスタイルで仕事をする上で大切にしていることは。
まずお客様との関係においては、お客様の事業が成功するかどうかということを一番に考えています。自分のキャリアの変遷は、どう成長したかということでもあります。自分が成長することで、お客様の事業が成功すれば、自分にとっても社会的な足跡を残すことにもなる。だから私はこのようなキャリアの積み方をしているのだと思います。
もうひとつは、お客様との関係を強固にして、後進に還元することです。私が今のお客様にお世話になれたのも、先に派遣されていた先輩の評判が良かったから。私が評判を落とすようなことがあれば、後進の機会を奪いかねません。お客様との関係をしっかり築いて、後進のチャンスを広げる。そういう人のつながりはとても大事だと思います。
「脳の別の領域が刺激される」という趣味
――お話を聞いていると、自分を律している職人的な感じを受けるのですが、リラックスや気分転換できるような趣味はありますか。
今の趣味は「座禅」と「茶の湯」ですね。
昔は草野球やゴルフをしていましたし、バイクも大好きでした。でもそれは若いころの延長であって、ずっと同じことでリラックスできるとも限らないと感じています。自分の置かれている状況や仕事のステージが変わると、心地いいと感じるものも変わって当然なんじゃないかと。
――でもすごく意外です。なぜ座禅と茶の湯なのですか。
私の実家の宗派は曹洞宗で、菩提寺が禅寺です。父が月に1回、朝6時からの座禅に通い始め、私も誘われたのがきっかけでした。もともと多少興味はあったのですが、実際やってみると精神的にリラックスできることに気が付きました。
座禅に通うようになってから、私たちの生活の中に息づいているずっと継承されてきた日本の文化にも興味が湧いてきて、茶の湯もおもしろそうだなと。非常に奥が深い世界で、これまでずっと理系の理論的なことばかり考えてきた脳の中のまったく別の領域が刺激されるような感じがして、気持ちがいいです。
母が庭に花を植えているのですが、10年前ならまったく関心がなかったのに、今は目に留まる。そういう自分の変化もすごく面白いですね。
仕事の価値を自分で決めない
――最後に、エンジニアとして成長するために大事なことは何か、考えを聞かせてください。
仕事は自分1人で成り立っているわけではなく、ひとつのプロジェクトに関わるいろいろな仕事があって形になるわけです。与えられた仕事に対して「これは自分の仕事ではない」と考える人もいますが、自分の能力を超えていて難しいということはあったとしても、その仕事に価値があるかないかを自分で決めてはいけません。それが一番の根幹で、エンジニアとしてのスタート地点だと思います。
あとは自分のがんばりで「この人にこの仕事を任せたい」と言ってもらえるか。そこから成長が始まるのではないかと思います。
――でもプライドもあるし、逆に苦手なこともあります。
私にとっては「いい仕事をしてくれたね。ありがとう」と言ってもらえることがプライドであり、一番大事なことですね。
仮に苦手な仕事であっても、そこにチャレンジしないのはエンジニアとしての可能性を狭くして、成長するチャンスを無駄にしてしまうことになる。とてももったいないことだと私は思います。