デジタルへの進化の中で得た半導体開発の技術と経験を、次のビジョンアプリケーション開発へ生かす――双峰エンタープライズ 野村哲哉氏

双峰エンタープライズ株式会社 代表取締役の野村哲哉氏は、映像技術がアナログからデジタルに進化を遂げてきた時代に大手家電メーカーに勤務し、ビデオカメラ、半導体、イメージセンサー、顧客サポート、海外赴任など、映像技術を軸とした幅広いキャリアを積み重ねてきた。現在は、映像技術に関する知識と経験を基に、カメラモジュールの提案やビジョンシステムコンサルティングを通じて、アイデアを形にしようと考えている人たちを支援している。(執筆:杉本恭子、撮影:水戸秀一)

――筑波大学で物理を学ばれたとお聞きしています。

筑波大学を選んだ理由の一つは物理の教員になろうと思っていたこと、もう一つの理由は、筑波大学がバレーボールの関東一部リーグに属している唯一の国立大学だったことです。当時描いていた将来のイメージは、物理の先生になりバレーボール部の顧問をすることでした。

しかし、出身地である高知県の教員採用試験を受けたところ、50名の受験者に対して、採用枠は2人。採用されるには5~6年かかることを知りました。そこで方向転換をして筑波大学大学院理工学研究科に進みました。粒子加速器という大掛かりな装置を使った実験などがとても興味深かったこともあり、原子核実験物理学を研究しました。

――大手家電メーカーに就職した理由は。

ビデオカメラを作りたかったからです。仲間とスキーに出かけたときに、後輩がビデオカメラを持ってきたことがきっかけでした。それまで電化製品にはあまり興味はありませんでしたが、当時、愛好者の多かったオーディオに比べて、ビデオカメラは先見的な製品で面白いと感じたのです。1990年に入社した際、面談でもビデオカメラを作りたいことを伝え、希望が叶ってビデオカメラの部署に配属になりました。

――さまざまな分野のビジョンアプリケーション実現を目指して

理科教員の父の影響もあり、小さい頃から電子工作などで遊んでいた

――家電メーカーではどのようなキャリアを積んできましたか。

その頃はオーディオがレコードからCDになり、ちょうどビデオもアナログからデジタルに変わろうとしている時代でした。私は画像圧縮アルゴリズムの開発と、デジタルビデオカメラで使用される集積回路(ASIC)の開発に携わることができました。

入社以降、ずっとデジタルビデオカメラ開発に従事していましたが、いろいろなものがデジタルにシフトしていく中で、これからのものづくりでは、製品の性能や機能を半導体が決めることになるだろうと考えるようになったのです。それならば、半導体自体の最前線で開発をしたいと。

そこで1996年2月に半導体の部門に異動し、DVDプレーヤー向けMPEG2 AVデコーダの開発に参画することにしました。海外開発拠点のエンジニアとも交流する機会を持ち、ソフトウェアの重要性や巨大なシステムLSIを作る最先端の方法を学びました。その他にもTV向け高画質化ベースバンドプロセッサや、台湾のR&Dセンターに赴任しプロフェッショナルHDデジタルカムコーダー用SoCの開発も手掛けました。

また、どうしても膨大なコストがかかる半導体のテストに関して、パソコンとFPGAを組み合わせて、当時としては画期的な全自動の評価環境を開発、導入し、テスト開発費用と検査費用の大幅削減および極低不良率の両立を実現することができました。

その後、それまでのキャリアを活かして、スマートフォン向けCMOSイメージセンサーの顧客サポートや、技術サポートエンジニアの育成にも携わるなど、本当にさまざまな経験を積むことができました。

――会社を辞めて、独立しようと思ったのはなぜですか。

顧客サポートをする中で、いろいろな分野で、いろいろなビジョンアプリケーションが必要とされることを実感したからです。Raspberry Piとも接し、これからのIoT時代に必要なのは、ソフトウェアで画像処理や認識を行うアプリケーションだと思うようになりました。

ビデオカメラ開発がしたくてこの世界に入りましたが、これまでの経験を活かして、もっと幅広い分野のビジョンアプリケーションの実現に役立つ仕事がしたいと考え、思い切って2018年7月に独立し、12月に法人化したのです。

シングルボードコンピュータ向けカメラ基板(上:AFモジュール、下:魚眼モジュール)とその実装例

――現在はどのような仕事をしておられますか。

Raspberry Piにそのまま接続できる魚眼レンズモジュールや、薄型広角8Mpixカメラモジュールなどの製品を販売しながら、主にビジョンアプリケーションのハードウェア、ソフトウェア開発に関する技術コンサルティングをしています。

2019年の年末で会社設立から1年になりますが、ソフトウェアドリブンのいろいろなソリューションを提供できる、自社のプラットフォーム基板を早く開発したいと思っています。

――広く、かつ深さのある経験が強みになっている

センサーは物理現象そのもの。大学で学んだことは仕事の土台となっている

――野村さんにとって、仕事の原動力は何ですか。

「こんなものを作りたい」、「こういうものを探している」など、困っている人の課題を解決することです。人の役に立つということや、期待された以上の答えを出すことはモチベーションになります。要求されたことをするだけではなく、一歩、二歩、先回りして仕込んでおくことを心掛けています。

――ではエンジニアとして大事にしていることは。

ロジカルシンキングと物事を多面的に考えることですね。特に何か問題に直面したときこそ、それらが重要だと思います。狭い範囲だけを見ていては分からないことも、いろいろなことを関連付けて試行錯誤して原因を探り、それらをロジカルにつなげていく。私はこれまでそうしてきましたし、その積み重ねでかかわった製品を完成させることができたのだと思っています。

またコミュニケーションの面では、表現力、特に質問の仕方に気をつけています。人それぞれの経験や専門分野がありますから、自分が欲しい情報を引き出すためには、その人が使う言葉への理解を深め、それに近づけて会話することが大事だと思います。

――ご自身の強みは何だと思いますか。

さまざまな半導体の開発だけでなく、顧客サポートも行ってきたことでしょうか。半導体エンジニアの中でも、このような幅広い経験をしてきた人は意外と多くありません。広さとともに、一定以上の深さも経験させていただいたことは、私の強みになっていると思います。他にはない付加価値を持つ製品を作りたいとお考えの方から、コンサルティングの依頼をいただけるのは、こうしたキャリアを積んできたおかげだと思います。

――ご経験を踏まえて、これからエンジニアを目指そうと考えている方にアドバイスをお願いします。

私が広く、かつ深い経験を重ねることができたのは、事業規模が大きく、幅広い技術開発分野の企業に入社できたからだろうと思います。しかし、そこにただ在籍していればいい経験ができるわけではありません。与えられる仕事をするだけでなく、自分なりのテーマを決めて、自分で考え、積極的に取り組んでいくことが大事だと思います。

バレーボールの現在のポジションはセッター。今も6人制、9人制のサークルで活動している

関連リンク

双峰エンタープライズ



ライタープロフィール
杉本 恭子
幼児教育を学んだ後、人形劇団付属の養成所に入所。「表現する」「伝える」「構成する」ことを学ぶ。その後、コンピュータソフトウェアのプログラマ、テクニカルサポートを経て、外資系企業のマーケティング部に在籍。退職後、フリーランスとして、中小企業のマーケティング支援や業務プロセス改善支援に従事。現在、マーケティングや支援活動の経験を生かして、インタビュー、ライティング、企画などを中心に活動。心理カウンセラー。


関連記事

アーカイブ

fabcross
meitec
next
メルマガ登録
ページ上部へ戻る