- 2022-2-7
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株式会社メイテックは、日本の製造業に向けてプロフェッショナルなエンジニアによる設計・開発業務のソリューションサービスを提供している企業だ。そのメイテックへ2016年に中途入社した矢島 照幸氏は、現在、創薬企業の研究所に派遣され、実験設備やデータ処理などを「自動化」する、プロフェッショナルとして活躍している。機械系エンジニアである矢島氏が、ハード/ソフトの領域で、機械/電気/ソフトといった複数分野の技術を吸収し続けるのには、「頼られたら、応えたい」というシンプルな想いがある。(執筆:畑邊 康浩、撮影:編集部)
──矢島さんの現在の業務内容を教えてください。
[矢島氏]2021年の4月から、創薬研究に向けた実験や測定を専門に行っている企業で、メイテックのエンジニアとして業務を行っています。
私が担当しているのは、実験設備や実験から得られたデータ処理の自動化です。このお客様はグループ全体でDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進されており、私は研究グループの一員として、ハードとソフト両面で自動化を推進しています。
私の仕事は実験プロセスの中で自動化できる余地を見つけ、機械、電気、ソフトの観点で課題を抽出し、お客様に解決策となる提案を行った上で実験設備のソフトを改善したり、不足する部分には治具を作って補っていくというもので、治具を3D CADで設計して3Dプリンターで印刷し、設備に取り付けるところまで基本的に1人で行います。
──設備や実験プロセスだけでなく、業務の全体像を知らないといけませんし、何が課題になっているかも分かっていないといけない、総合力が求められる仕事ですね。
[矢島氏]そうですね。創薬の領域は経験がありませんし、業務を把握・理解するのにはかなり時間を要しました。実験設備を動かすソフトも、一般に広く使われているものと異なる枠組みで実験プロセスを捉えたソフトで、覚えるのに苦心しました。
一方で、データ処理はソフトウェア的な自動化です。実験によって得られたデータを、マクロやPython、PowerShell、RPAのUiPath、Power Automateなど、さまざまなツールを駆使して自動化していきます。創薬の実験では生成されるデータ量が膨大なので、今はデータ処理の自動化のほうにより注力しています。
──機械系のエンジニアでありながら、ソフトウェアやプログラミングのスキルはどのように身につけたのですか?
[矢島氏]プログラミング自体には昔から興味があったので、個人的にWebサイトやExcelのマクロなどは作ったことがありました。前職の時、計測機器のプログラミングやデータ処理でVisual Basicやマクロを経験しましたし、自己学習を兼ねてプライベートでスマートフォンアプリの開発や、Microsoft Kinectを使ったインタラクティブコンテンツの開発などをしたことがありますので、基礎はできていました。後はもう、現場で使いながら覚えていくだけです。
新しい知識の習得はそれなりに大変ですが、お客様が抱える課題の解決につながります。私はお客様に喜んでいただけることが一番嬉しいですし、今はそれが働くモチベーションになっています。
HDDモータの設計開発で、ものづくりの一通りの流れを経験
──矢島さんが今の派遣先で、機械、電気、ソフトといった複数分野の知識を生かしてご活躍されている背景に何があるのか、これまでのキャリアの変遷をお聞きしていきたいと思います。エンジニアを目指すことになった具体的なきっかけなどはありましたか?
[矢島氏]実は、エンジニアを目指した特別なきっかけがあるわけではないのです。大学進学の文理選択は、国語が苦手で数学・物理が得意だったという理由で理系に進み、地元の群馬大学へ進学しました。工学部の電気電子工学科を選んだのは、就職を見越したときに「食いっぱぐれないだろう」という思いからです。
学生時代に所属した研究室では、新しい取り組みのテーマとして自律型ロボットの制御を行うことになり、電気回路の設計からマイコンを使用してのプログラミング、ロボットの機械設計まで、電気に限らず幅広くものづくりを学びました。
──学部を選ぶ際に就職を見越していたほどですから、エンジニアとしての就職を志したわけですね。
[矢島氏]はい。教授推薦で、神奈川に本社のあるAV機器を主力とする大手メーカーへ就職しました。1997年のことです。
その会社のカーオーディオ事業部が群馬にあり、私はオーディオが好きだったのでそこに配属希望を出していたのですが、意に反して最初の配属先は静岡の拠点にあるモータ事業部でした。
──そこではどのような仕事をされていたのですか。
[矢島氏]HDD(ハードディスクドライブ)のモータ部分の設計・開発を行っていました。
顧客であるHDDメーカーからの仕様書を元に検討を始めて、機構や磁気回路の設計を進めていきます。試作品をつくり、測定・評価をしながら仕様書通りの性能を出せるように調整していき、要件をクリアできたら顧客にサンプルを提出します。それにOKが出た後の出図から、海外にある工場での量産立ち上げまでが私の仕事でした。
測定治具や組立治具の設計も全て自分たちで行っていて、更にサンプル生産時に量産設備の治具やソフトを変更して対応していたので、生産技術の領域にも踏み込んでいました。
──生産技術まで1つの部署で行うのは、社内で一般的だったのですか。
[矢島氏]いいえ、生産技術部は生産技術部でありましたが、人が少なかったので対応していただけで、1つの部署で行うのは私のいた部署くらいです(笑)。とはいえ、もちろん入社直後から全て任されたわけではありません。最初に与えられた仕事は、既存のモータの改善業務で、モータが発する騒音を抑える仕事です。
私がいたチームは常時3〜4人の小さなチームでしたし、モータ自体それほど部品点数が多いものではないので、入社半年後には小変更の担当、1年後には1機種の設計から量産立ち上げまでを任されるようになりました。
モータ事業部に在籍した9年の中で、最初の頃に扱っていたモータの軸受はボールベアリングでしたが、5年ほど経った頃には、高精度化・低騒音化の為、FDB(流体動圧軸受)が業界の主流になり、後半の4年弱はFDBモータを開発していました。
──モータ事業部にいた9年で、成長を実感したのはどのような点ですか?
[矢島氏]私たちが扱っていたHDDモータは、電気回路が全くありません。回転部分の回路は顧客側が担当するので、私たちが設計するのは機構、磁気回路といった純粋なモータ部分だけ。しかし、モータの設計だけでなく、量産設備の改造などもしていたことで、機械だけでなく電気やソフトウェアまで幅広く知識を得られ、ものづくりの一通りの工程に携われたことは、今の仕事にもつながっている貴重な経験となりました。
入社1年目の冬、初めてのタイ出張で現地採用のエンジニアに出会ったのですが、彼は学ぶことに対してすごく貪欲で、頭も良く、英語もできる。その彼が翌年4月に日本へ研修に来て帰るときには、日本語も話せるようになっていました。
彼の「生きる為に学ぶ」姿勢に「これはまずいぞ」と刺激を受けて、そこから私も英語を勉強するように。モータ事業部の顧客は米国のメーカーでしたので、もともと仕様書やメールでのやりとりも全部英語でしたが、会話もできるようになりたい、もっと英語を使えるようにならなければと思うようになりました。それから今まで、年1回ペースでTOEICを受け続けています。
そのタイ人のエンジニアとの出会いは、私がエンジニアとして仕事に向き合う姿勢にとても大きな影響を与えました。
社内異動でエンジニアから商品企画へ
──その後、モータ事業部からカーオーディオ事業部の商品企画へ異動されていますね。どういう経緯があったのでしょうか。
[矢島氏]入社時にも配属希望を出していたカーオーディオ事業部が社内公募をしていたんです。それに応募して、面接を受けて異動することとなりました。
異動を希望したのは、モータ事業部では人との関わりが少なく、毎回似たようなことの繰り返しで物足りないと感じるようになっていたからというのが正直なところです。このままではエンジニアとして伸びないのではないかという危機感もありました。
それに、民生品を生産・販売している会社にいたので、やはり民生品に携わりたかったのです。
──カーオーディオ事業部では具体的にどのような仕事をしていたのでしょうか。
[矢島氏]海外向けの車載オーディオビジュアル機器(カーナビ)の商品企画です。
市場調査・競合調査等のマーケティングに始まり、企画書・仕様書を作成して上長・事業部長の決裁を仰ぎます。承認が下りたら今度はナビのGUIレイアウトや画面遷移を考え、デザイナーや技術部門に依頼して制作をディレクションするという、プロダクト開発に踏み込んだ業務を担当しました。
後は、売るための業務、例えば海外のディストリビューターやカタログや販促物の制作会社に向けた新商品のプレゼンや、Webサイトの制作なども行いました。企画以外のことにもかなり手を広げて、特にソフトウェア系の仕事をしていましたね。
それ以外にも、オーディオビジュアル機器と連携するスマートフォンアプリを社内で作ろうという話が持ち上がった時には、アプリ開発も担当しました。iOS用とAndroid用、両方のアプリの仕様決めからデザイン、開発、リリースまで全て社内で行いました。
──商品企画部での10年は、ご自身のキャリアにどう生かされていますか?
[矢島氏]今の仕事にも生かせているのは、3C・4P分析、SWOT分析といったマーケティングフレームワークです。この辺りのスキルは、何を作るにしても上流の仕事では必要なものです。
それと、コミュニケーション力。企画職の大抵の仕事は、デザイナーやエンジニア、営業などとやりとりしながら進めるものですので、相当鍛えられたと思いますし、今、メイテックで派遣エンジニアとしてお客様先のエンジニアとして働く上でも生きていると思います。
「もうエンジニア以外はやりたくない」とメイテックへ転職
──その後に、メイテックへ転職されました。経緯について教えていただけますか?
[矢島氏]商品企画部は地元の群馬にあったのですが、その後会社の都合で職場が東京に移りました。そこへ毎日片道3時間かけて通勤する生活を脱したいと思ったのが、転職を考え始めたきっかけです。
また、自分でアプリを作ることもあったとはいえ、やはり企画職でしたので、ものづくりがしたい、エンジニアに戻りたいと思ったのが転職の理由として大きかったです。
いい転職先がないかといろいろ探していたのですが、なかなか「これだ」と思うところがない……そんな時に、転職フェアで行われるある講演を聞きに行って、せっかくの機会なので一通り会場を見て回りました。その時に、メイテックのグループ会社であるメイテックネクストの担当者に声を掛けられて、詳しく話を聞くことになったのです。
──なかなか運命的ですね(笑)。話を聞いてみて、どういう印象でしたか。
[矢島氏]実はモータ事業部時代に、同じ職場の先輩エンジニアにメイテックの人がいて、私の入社と同時期に他部署に派遣されてきた人もいました。彼らは高いスキルを持っていて、一緒に仕事をする中で「すごい人たちがいるんだな」と思っていたので、強く印象に残っていたんです。今思うとその記憶が、私がメイテックに転職を決めるのを後押ししたように思います。
──決め手は何だったのでしょうか。
[矢島氏]いくつかあるのですが、まず「生涯エンジニアでいられる」ことが魅力でした。その頃は「もうエンジニア以外はやりたくない」と思っていたので、メイテックが謳う「生涯プロエンジニア」という言葉を聞いて、率直にいいなと思いましたね。
事業会社では技術系であっても組織でポジションが上がっていくとマネジメントをしなくてはならないケースが多いですが、私はそれが嫌でした。ずっと現場でものを作っていたい。その点でも、ずっとエンジニアでいられるメイテックは自分に合う会社だと思いました。
派遣として様々な製品開発を経験し、エンジニアとしての成長が見込めること、更にその成長に応じて給与アップが期待できることが非常に魅力的で、入社を決めました。
10年のエンジニア職のブランクをものともせず、新しい技術に挑む
──メイテックに入って最初の派遣先ではどのような仕事をしていましたか。
[矢島氏]2016年7月に入社し、3カ月の研修期間を経た後に、自動車のエンジンを生産している会社に派遣が決まりました。そこでの仕事はエンジン組立の生産技術でしたが、中でも治具の設計が多かったです。
ここでは、前職のモータ事業部で組立治具や測定治具を設計したり、量産に向けて生産技術の領域も多少経験したりしていたことが大いに役立ちました。
機械を扱うエンジニアとしては10年のブランクがあったわけですが、前職で生産技術の人に言われた「不良品を作るな」という言葉を思い出して、その意味を改めて噛み締めるほどには、勘を取り戻していきました。
この派遣先には4年半ほど在籍し、途中からは生産設備導入や既存ラインへの新エンジン導入にも関わるようになりました。1つのラインに複数のモデルのエンジンを流す混流ラインだったため、1つで複数のモデルに対応できる治具を作ることもありました。異なるモデルの共通点を見つけるのが難しかったですが、考えたり工夫したりする余地が大きく面白い仕事でした。
──ここで身につけたスキルや、成長した点は?
[矢島氏]まず、3D CADを使えるようになった点です。前職でモータを設計していた頃は、まだ3D CADはなく、操作経験がなかったので、メイテックで用意されている技術研修を受けてから業務に臨みました。
また、派遣期間の後半では、ロボットアームを使いエンジンに刻印を行う設備の安定稼働の為の改善、その刻印画像を判定する画像処理プログラムの改善(ほぼ作り直し)、ボルトを締める協働ロボットの導入・制御プログラム作成なども担当するように。この辺りは自分にとって目新しい技術で、エンジニアとしての幅を広げる経験をさせてもらえたと思います。
頼りにされたら応えることで、エンジニアとしてさらに成長する
──そのような経験を経たからこそ、最初にお話しいただいたように「自動化」の領域でご活躍されているのですね。この派遣先の変更にはどのような背景があったのですか。
[矢島氏]メイテックの社長と面談をする機会があり、「お客様の本質的な課題解決につながる、高い付加価値を提供する新しい業務領域に挑戦してみないか?」とお声がけをいただいたのです。協働ロボットの導入を1人で行った経験に着目していただいたようです。
協働ロボットの導入は、一般的には機械系、ソフト系、電気系のエンジニアを集めた2〜3人のチームで当たるのが通常です。それを1人で完遂できることを、評価いただけたのかなと思います。私が所属する拠点の当時のセンター長も、私の持つスキルを「もはやロボットSIerだ」と評してくれています。
──矢島さんのエンジニアとしての強みを教えてください。
[矢島氏]機械の技術をベースに、電気やソフトの分野もカバーできること。加えて企画やプロジェクトマネジメントもできて、英語にも抵抗がないところですね。
自分では課題解決型の業務に強いと思っていて、設備の自動化に関してはプロフェッショナルだと自信を持って言えます。
──最後に、エンジニアとしての今後の目標を教えてください。
[矢島氏]メイテックの社員としての目標は、若手エンジニアの育成に貢献していきたい。彼らの見本になれるようなエンジニアを目指したいですね。
エンジニアとしての目標は、抽象的な言葉でしか言えないのですが……困った時に頼りにしてもらえる、「矢島さんに聞けば大丈夫」と思ってもらえるエンジニアでありたいです。
私は頼られたら基本的には断りません。本当に全くできない場合は断ることもありますが、大抵のことは「今できなくても少し勉強すればできる」と考えています。そして、やると言ったからには責任を持って自ら学び、実現する。その過程でまた技術が身に付き、更にできることが増えていく。そうやってこれからもエンジニアとして成長していきたいです。
関連情報
ライタープロフィール
畑邊 康浩
編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集に携わった後、人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリーランス。主にHR・人材採用、テクノロジー関連の媒体で仕事をしている。